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清涼院流水『とくまでやる』(徳間デュアル文庫)をさらりと読み終える。作中で発生している事象は非常に派手なのだが、決定的に筆致が地味という不思議な作品。昔の印象と違い、落ち着いた書き手になっている事実に驚いた。手間は結構かかっているように思います。企画自体の楽しさもあるし。
続いて、泡坂妻夫『鳥居の赤兵衛 宝引の辰捕者帳』(文藝春秋)を読み始める。ボウエンを読み終えた後に一晩一編ずつじっくりと読もうと思っていたが、思わず手が出てしまった(とはいえ、やっぱり一日で読みきってしまうのは勿体無いので、数日は引っ張るつもり)。相変わらず文章がたいへん粋で、相変わらず捕物帳としてはたいへん異色の内容。「優曇華の銭」など、一体何事が語られるのかとびっくりしてしまった。
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殊能将之『キマイラの新しい城』(講談社ノベルス)読了。ミステリ・コメディ*1の快作。私見では、殊能作品においてミステリはおもちゃにされるだけであり、その弄び方に中途半端な批評性が入ってくるから正直言って彼の作風は好みではないのだけれど、あからさまにミステリ的にやる気が無く、その分コメディ要素が強くなっているこの作品は楽しめた。ロポンギルズでのドタバタや、苦悩する刑事像にニヤニヤ。但し、ジョン・ディクスン・カー『ビロードの悪魔』のタイトルをわざわざ挙げ、本格ミステリ・マニアとの間に隠微な共犯関係を築こうとする姿勢は(昔は好きだったが)今は姑息に感じられたりもする*2。
続いて福澤徹三の新作長編『壊れるもの』(幻冬舎)を手に取ったのだが、エリザベス・ボウエンの作品集を読んでいる所為かどうも感心しないので、一時中断して清涼院流水の新作『とくまでやる』(徳間デュアル文庫)を読み始める。流水版『千日の瑠璃』*3? 清涼院作品を読むのは実に『ジョーカー』以来。
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エリザベス・ボウエン『あの薔薇を見てよ』(ミネルヴァ書房)を引き続き快調に通読中。とはいえ、ここに収録されているような上質な短編を次から次へと読み散らしてしまうのはなんだかとても意地汚い行為のように思えてしまうので、毎晩一、二編ずつ堪能している。
小野寺健編訳の『20世紀イギリス短編選(上)』(岩波文庫)に収録されていた「幽鬼の恋人」*1はこの作品集には収録されていないが、アンソロジー『猫は跳ぶ イギリス怪奇傑作集』(福武文庫)の表題作は「猫が跳ぶとき」とされて収録されている模様。とはいえ、この作品集を怪奇幻想集と考えたり、ボウエンを怪奇作家として考えるのは早計で、矢張りこの作家は20世紀前半のさまざまな英国女性像を描くことに傑出した文芸作家なのだと思う。とはいえ勿論、朧げな不安を上品に掻き立てる筆も魅力的だ。
というわけで日中は他の作品を読み進め、中野順一『クロス・ゲーム』(文藝春秋)を読了する。サントリーミステリー大賞受賞作家の受賞後第一長編で、ミステリとして多少盛り上がりに欠けるラスト(ネタは割と面白いはずなので、演出次第ではもっと印象の強い結末にできたのではないか)など不満もいろいろ感じられるが、悪くない。とにかくすらすら読めるのが良く、ストーリーの流れが滑らかなところも好印象。取り敢えずデビュー作の『セカンド・サイト』(文藝春秋)も読んでみようという気になった。……それにしても、チャットやゲームを小説の中に取り入れると妙に時代遅れのような雰囲気が立ち上ってしまうのはどうしてなのだろうか*2。
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廣真希『量子館殺人事件』(暖流社)読了。次の次くらいに読もうと思いつつ序盤をぱらぱらと捲っていたら、あっという間に読み終えてしまった。タイトルが『量子館殺人事件』、しかも帯に「スチームパンク探偵小説」とあるので如何にも怪しい本だと思いつつ購入したのだが、予想外にもこれは楽しい探偵小説でした。うるさ方は「新味に乏しい」と文句を言うかも知れないが、ことジャンルがミステリの場合、新味を狙いすぎて滅茶苦茶になってしまっている作品よりも遥かに好感が持てるし(何しろ「古式床しい」が皮肉にならないジャンルですから)、舞台を昭和九年にしてあるから古めかしい雰囲気に苦言を呈する気持ちにはならない。どうして「スチームパンク」(=SF)なのか、ということは結末で判るわけだが、古めかしい探偵小説というだけで終わらせたくないという作者のこだわりのように感じられ、ここにも好感を持った。傑作秀作と称するより、好感の持てる作品として愛好家にはおすすめ。描写に厚みがあればもっと楽しめたとは思うので、その点がちょっと残念ではある(但し、すっきりした文章は好ましい)。
ISBN:4888760527