津原泰水の『綺譚集』(集英社)を読了したが、それにしても(敢えて誤解を恐れずに言えば)津原泰水はつくづく因果な物書きであると思わずにはいられない。この作家にこれほど文章力が無ければ、エンタテインメント作家としてもっと無難に評価されていただろうに……文学とは文章そのものであるとするなら、この『綺譚集』はきわめて端整な、講談社文芸文庫で読みたいような文学作品である。しかし、その文書によって綴られる内容はエンタテインメントなので、やや「つくりもの」めいた印象が、その高い文章力ゆえにどうしてもつきまとってしまうように感じられる*1。個人的には技巧を徹底して抑えた作品を読んでみたいのだが、どうか。集中では川端康成の「片腕」を連想させる「脛骨」やスケッチのような軽い味わいが素晴らしい「アクアポリス」、そして「ドービニィの庭で」(梅崎春生「植木屋」、赤江瀑「花夜叉殺し」、山口雅也「永劫の庭」など、突発的に現れる庭小説の系譜に連なる秀作。どうでも良いが、先日読んだエリザベス・ボウエンの「あの薔薇を見てよ」や福武文庫の『イギリス怪奇傑作集』巻頭に収録されていたR・C・クック*2の「園芸上手」など、ガーデニングの本場イギリスではこの手の短編が山のように書かれているんだろうな)が印象に残った。

綺譚集

*1:例えば「玄い森の底から」。但し技巧というなら、この「玄い森の底から」は構成・文章技巧ともに本作品集中最上と言える、目くるめくような逸品だが。

*2:レオ・ブルースの別名義。ところで作者名を確認するために検索をかけたら、この「園芸上手」の主人公の名前が“ボウエン夫人”だったことが判って笑ってしまった。